2014.6.27 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan
ぼーくんは平成生まれです。昭和の時代を教科書やテレビでしか
見たことがありません。しかし、村の人はほとんどが昭和の生ま
れ。僕の知らないことや、信じられない経験までたくさんお話を
してくれます。この生きた経験が本当に勉強になる。今日は、戦
時中の村の話をしてくれたおじいちゃんをご紹介。
あば生まれあば育ちの良樹さん、たくさんのことを村で経験して
きました。良樹さんが小学生のころは、まだ戦争中で勉強もせず
に仕事ばかりしていたそうです。「小学校の高等2年(今の6年生)
の時には炭焼きばっかりしていました、山から木を運んできて。
勉強なんてした記憶がないんですよ、村の貴重な労働力として働
いていました。」当時は小学生が草刈りをしたり、畑もしたり、
中学生では蚕もしていたそうです。田舎にとってはそれが貴重な
『勉強』だったと言います。「結局な、あのころの田舎では普通
の勉強をしとっても約に立たなんだ。それだったら、自分の身に
なる、仕事になることを学んだ方が重宝されとったんです。」閉
校になってしまったあば小学校。村に知識と経験を提供してきた
場所、上手に活用出来ないものかとあれこれ二人で考えました。
良樹さんが22〜23歳のころに、終戦を迎えました。戦後は山の
仕事に就いていたそうです。「戦後からずっと山の仕事をしていま
した。木を切ったり、下刈りをしたり。当時は、仕事なんて選べる
ほどなかった、もう山しかやることがなかったんです。」山仕事も
当時はお金になりましたが、木の値段が安くなった今は厳しい仕事
になっています。高齢で山仕事を引退し、そこからは農業を続けて
こられました。この日もハウスの中の土を起こしておられました。
「野菜作るのもしんどいけどな、これしかやることがないんじゃ。」
畑の一角には立派なトウモロコシが生えていました。もうすぐ収穫
の時期。全部で1000本もあります。穫るのも一苦労です。
少子高齢になった村で、百姓しか仕事がないことに危機感を持って
いる良樹さん。「結局若者が働く場所がないでな。まずはそれを作
らにゃ子どもも若いもんも増えんで。」村が残って行くためにも、
まずは雇用が必要。「あんたもがんばりんさいよ。自分で生きてい
かにゃいけんで。」と別れ際に。様々な苦労を経験してきたかろうか
やけにずっしりと重く聞こえました。
最後に、良樹さんのあば村の自慢は?
また、村が残って行くためにはの話をしようと約束しました。前向き
に、次の世代へ渡して行きたいという想いの強いおじいちゃんでした。
これに続く人が出て来ないといけない。
さて、待ちに待った週末です。
ぼーくんは地域の草刈り三昧の予定です。しかしその間に地域の子ども
とサッカーをする約束もしています。楽しみ。
土日は一日一人もお休み。
次は6月30日(月)のお昼の更新。
どんなお話が聞けるでしょうか、お楽しみに。