第41村人:植月 忠明さん

2014.5.28 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan


 

あば村にはたくさんの古い家があります。昔ながらの湿気を逃がす木造
建築がたくさん。回収はしたけど建築100年以上なんて家もたくさん
あります。そんな中、大高下地区にひと際目立つ建築中の家があります。
津山からあば村へ来て、自分の夢を描きながら家族と共に家を建ててい
るお父さんのストーリーに感動したのでご紹介します。

 

植月 忠明(ただあき)さん

 

ただあきさん

 

「このままじゃ日本は行き詰まる、と考えて田舎に来ました。」

あば村に来る前は、津山市内で保険関係の仕事をしていた忠明さん。日本
の経済や社会を下支えする仕事ですが、そこに疑問を感じておられました。
「保険の仕事をしていて、日本の限界を感じました。このままの経済シス
テムや産業構造のまま行くと、必ず行き詰まって来ると思ったんですよ。」
んな中、可能性を見いだしたのが『田舎』でした。忠明さんは自然と共に
生き、貨幣社会とはまた違った感覚のある田舎で生きたいと考えるように
なったそうです。「ずっと考えていると、人間も自然の一部なんだなと感
じるようになってきました。そうすると、自ずと行き着いたのが田舎だっ
たんです。」そして、岡山や兵庫県を回られて、最終的にたどり着いたの
があば村の地でした。「なんか感覚的に、いいとこだなと思いました。」
と当時の感覚を思い出します。最初は、津山市内から通っておられました
が、やはりここに住みたいと感じるようになり、3年前にあば村へ移住し
てこられたのです。

 

ただあきさん2

 

「家はおまけみたいなもの、ここに住みたくなったから自分で建ててます。」

こうして移住する前も、7年ほどあば村へ通っておられました。まずは、あ
ば村で農業がしたいと思いましたが、なかなか土地を提供してくれる人がい
ませんでした。そこで、村の農業公社で草刈りのバイトを始め、自分が何を
考えてどうしたいかを村に伝えていくことから始めました。「最初は信頼も
なく、どこの馬の骨か分からない奴に土地を貸さないのは当たり前ですよね。
だからひたすら草刈りをして、想いを伝えました。」そうして一年、忠明さ
んの熱意が伝わったのか、村で土地を提供してくださるひとが現れました。
しかしそこは、今の姿とはほど遠く荒れた土地。木や竹が生い茂りとても農
業ができるような場所ではありませんでした。「夫婦二人でひたすら開墾し
ていきました。抜根もみぞさらいも全部手作業。大変でしたよ。」気づけば
7年も土地の手入れをして、ようやく農業ができるようになりました。今は
あば村の村営住宅に入居されていますが、どうしてもこの土地に住みたくな
った忠明さん。「こうなったら、自分で家を建てていまおうと考えたんです。
私は本当は農業がしたいので、家はおまけのようなものです。」そういって
もどう考えても一人で建てる大きさじゃないですよね。

 

ただあきさん3
忠明さんが建築中の家。これで3年目、ゆっくりゆっくり建てています。

最後に、忠明さんのあば村の自慢は?

 

「一概に言えないです、とにかく村にいるといろんなことに幸せを感じます。」

 

愛読書「100万円で建てられる家」を片手に、ふたたび作業に戻られました。
完成時期は未定とのこと。忠明さんは「最近は、あば村のサクラダ・ファミリア
を目指そうかと思ってるんです。一生完成しないみたいな。」と冗談まじりに
言っておられました。

 

明日もお昼の12時更新。
次はどんなお話が聞けるでしょうか、お楽しみに。