2014.7.11 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan
村でおじいちゃんに会うと、だいたい自分の仕事自慢から
始まります。辛かったこととか、嫌なこととかの話ではな
く、いかに自分が誇りをもって仕事をしていたかをかっこ
よく話すおじいちゃんばかりで、一人一人の感動ストーリ
ーに「へー、そりゃ凄い。」としか言えないこともしばし
ば。(まだまだ僕も未熟者です。)先日、ひょんなことで寝
たきりのおじいちゃんに会いました。それでも若い頃は、
恐ろしいほど仕事をしていたと自慢してくれたので、ご紹
介しようと思います。
あば村の竹の下地区で生まれ育った正義さん。40年ほど
前から寝たきりの生活になり、奥様の介護を受けて暮らし
ておられます。それでも頭はものすごく元気で、上手に口
が動きませんが、一生懸命に自分のことをお話してくれま
した。元々、土建業をしていた正義さん。まだトンネルが
多くなかった頃なので、険しい峠を越えて長野や姫路まで
行き、山を削る仕事をしていました。「トラック、ダンプ、
ショベル、何でも運転しました。トンネルを作るための爆
破もしていました。」村の人と一緒に遠くまで発破(爆発物
で山に穴を空けて行くこと)の免許も取りにいったそうです。
何かと怖いもの知らずのようで、津山で喧嘩しては帰らな
かったこともあったそうです.笑 正義さんはバスの運転手
もしていたそうで、当時はバスと言えば正義さんと言うほ
ど人気だったそうです。「私は、村のバスも運転していま
した。たくさんの人を運んびましたよ。村の人がいつもあ
りがとうと言ってくれました。」精一杯に声を出して話を
してくれました。
なんとコーヒーをくれました。けど、安物だから映しちゃダメと言われとりあえずぼかしといた。
今は寝たきりになってしまった正義さんですが、昔はもう
それは元気な人だったそうで(いや、いまも十分元気ですが)
山の頂上まで駆け上がったり、無茶ばかりしてきたそうです。
「雪が深い時でも、裏の山に上がり、ウサギを追っていまし
たよ。」かんじきを履いて走り回っていたそうです。夏には
草刈りのために牛も連れて上がっていたそうで、昔の人はど
れだけ足腰が強かったのだろうか。
村が誇る名滝『布滝』の奥には、黒岩高原という広い草原が
ありました。今は管理もなかなか出来ずに木や高い草が生え
ていますが、正義さんも昔はそこに上がって月を眺めていた
と言います。「山のてっぺんからは、日本海の水平線が見え
て、そこから満月が昇ってきていた。それはとても綺麗で、
今でも頭の中に残っています。」元気だったら一緒に歩いて
昇れたのになと言ってくれました。いや、この歳でも元気な
ら登れる自身があったのでしょうか。すごいな。
最後に、正義さんのあば村の自慢は?
文字にしたら端的ですが、一つ一つの言葉を噛み締めるように、
ゆっくりと語ってくれたお父さん。また来てよ〜、と言われた。
昔話をしているときに、そばで奥さんが涙ぐんでいて、辛いこと
もいろいろあったんだろうなと想像したら僕まで泣きそうになり
ました。
けど、寝たきりになっても笑顔で村の自慢をしてくれる正義さん。
頑張れよ、って言ってくれて勇気が出ました。
次の更新は週明けの14日(月)
次はどんなお話が聞けるでしょうか?お楽しみに。