2014.5.7 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan
今年のGWも終わりましたね。あば村ではこの時期、田植えのシーズンです。
標高と気温のためか、あば村では普通より一ヶ月ほど田植えが早いのです。
村中にトラクターが走り回る姿が見えますが、そんな中黙々と手作業で水路
の掃除をするお父さんに声をかけました。
あば村の中央を走る道路を走り、藤本商店を過ぎて登りながらのカーブを曲がると
あばの中心地 大畑の風景が突然開けて見えます。その麓に万寿夫さんの田んぼがあ
ります。自転車で走っていると、水路の掃除を一生懸命やっておられたので声をか
けて、一緒に作業しながら話を聞きました。
大畑にお住まいの万寿夫さん。あば生まれましたが、勤めで京都の旅館に出ていて
外での時間が長かったそうです。「私らの世代くらいは、勤めに関西へ出ている人
が多いよ。」と話す万寿夫さん。たしかにあば村では時たま流暢に関西弁を喋る方
に出会います。仕事もお金もなかった時代。単身赴任や家族連れで関西の方へ仕事
を求めて行く人が多かったと言います。そして退職してあば村へ帰って来た万寿夫
さん。そこから米作りを始めました。今はトラクターが主流ですが、機会も持って
いない万寿夫さんは、広い田んぼを全部耕耘機で耕します。「昔は牛を使いよって
、その後に耕耘機が出てきました。今では耕耘機でやりよるのは私だけじゃないか
と思います。」もちろん、耕耘機で耕すのは大変なことですが「それがええんです
趣味だから。昔見たいに仕事がなかった時代に比べたらやることがあるのは良いこ
とです。」と昔を思い出しながら今の生活を楽しんでおられました。
水路掃除をする万寿夫さん。
万寿夫さんの青年時代当時、あば村には20台の人が100人以上はおったと言い
ます。「あのころは活気があった。若物が100人以上もおったんです。それはも
う、選び放題でした。」と自慢してくる万寿夫さん。ほんの50〜60年前のこと
ですが、今ではその姿も見えないわば村に寂しさもあります。「よく(若い人達で)
集まって、酒飲んだり、悪いこともしたり、やりよった。」と話す万寿夫さん。今
の生活も楽しいですが、心のどこかで若い人が帰ってくることを望んでいます。
「本当に年寄りばっかになってしまった、私を含めて。若い人が楽しめる村にして
いくのも大切なこと。」と話します。もちろん、田舎は田舎なりの楽しみ方がある
と思います。万寿夫さんは米作りを生き甲斐としていました。農業じゃなくても、
きっと若者の打ち込めるものが作れますよね、一緒に見つけていきましょう。と約
束をしたところで、水路の掃除が終わりました。
最後に、万寿夫さんのあば村の自慢は?
笑顔が苦手だという万寿夫さんが「君みたいな若いもんが活躍してくれて嬉しい。」
と、最後に微笑んでくれました。僕も嬉しくなりました。一緒にヤギを飼いましょう
とか、お酒を老若男女関係なしで飲みましょう!!とか、楽しいことの話で盛り上が
りました。こんなお父さんが村にいて、いろんな若者に協力し始めたらあば村も元気
になっていくんだろうなと思いました。またお話しにいこう。
明日もお昼の12時更新。
次はどんなお話が聞けるでしょうか、お楽しみに。