2014.4.21 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan
先週末にご紹介した大塚賢一さん。小さく光るあば村の技術者でした。
本日は賢一さんを支える、素敵な奥様をご紹介
あば村生まれの静恵さん。もちろん阿波小学校出身です。
静恵さんが小学校5年生の時でした。それまで寒さの厳しいあば村で、教室の暖房が
火鉢だけだったのが、8つの教室に石油ストーブが設置されました。
「よく寒さを我慢して勉強しとったなぁ。」と感慨深く話す静恵さん。さらに6年生
の時に、初めて学校給食が始まりました。その時の記憶は今でも鮮明だそうで
「うどんに穴が空いとる、なんでだろうか?と思ったら、『それはマカロニっていうのよ』
と友達が教えてくれました。初めて食べました。」と思い出話を聞かせてくれました。
静恵さんの小学校時代のクラス写真。
同級生が35名、その内あば村に残っているのは半数以下。
時代の流れと共に、あば村を離れて行った人たちを見てきました。
「出稼ぎに出て、帰ってこなかった人もおれば、嫁いで行った人も。」と語る静恵さん。
それでも、静恵さん自身はあば村に残ったことに満足しているようです。家の裏の畑で
野菜を作り、味噌や漬け物など加工品にして食卓に並べ、日常的に食べるのが好きだそう。
加工のことで分からないことは、同じあば村にいる賢一さんの妹さんのところへ習いに
行きます。「あば村のことは割合好きですよ。」と控えめに話す静恵さんですが、昔の
田舎暮らしをあば村で満喫しておられました。
あば村は合併して10年。この間に人口は100人以上も減ってきました。その変化も
見ていた静恵さん。「あば村にもっとたくさんの人が来てくれたら。」と願います。
旦那さんの賢一さんのガレージには、いつも来客が。それをもてなす度に、静恵さんは
お茶やお昼ご飯等を丹誠込めて出してくれます。村としての元気がなくなりつつある今
こいいった小さな集まりを大切にしなければなりません。「なんにもできんけど、人が
くるなら私も出来ることはしたい。」と話す静恵さん。再び活気あるあば村になることを
願っています。
最後に、静恵さんのあば村の自慢は?
坊くんみたいな若い人に頑張って欲しいと最後に言い残し、また賢一さんの元へ行く静恵さん。
何気ない日常を送っている静恵さんですが、その姿は若いぼくにとっての理想の夫婦でした。
明日もお昼の12時更新。
次はどんなお話が聞けるでしょうか?お楽しみに。