2014.4.14 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan
あばに入る道は一本道。ゆっくり山道を車で走っていると突然、谷が開けて
左右に山が別れます。その東側の山、竹の下地区で、4年前に大阪から帰ってきて
元気に山仕事をしてる男性がいます。
4年前にあばに帰って来た清一さん。関西地方にずっと努めていました。
「あばは、また都会と違った人間関係があります。とにかく濃い」と話す清一さん。
外に出て、出会う人には出来るだけ声をかけようと心がけているそうです。
関西で培ったのか、おしゃべりがとても上手だ大好き。僕がであったときもたくさん
お話してくれます。「田舎に来たら、喋らな損やぞ!!」と笑顔で。
おしゃべりしながら、地域のことも考えておられ、信頼も厚いです。
今では竹の下地区の自治会長も任されています。
「みんながやりたくないと言ったから、しかたなくなったんや」と恥ずかしそうに
話す清一さんですが、会議の場でも堂々と発言しておられます。
とにかく説明上手で、山のことをたくさん教えてもらいました。
この日は、家の裏にある竹林を伐採していました。60歳を超えたとは思えない足付きと
早さでつぎつぎと竹を切って行く清一さん。
「これができないと。あばでは生きて行けんぞ!!」と言っていましたが、本当にそうかも
しれない。とにかく さん始め、あば村の男性はとにかく元気です。竹だけではな山の木も
切って、あば村が進める『木の駅プロジェクト』にも木を出しておられます。
「こうやって竹を切ったら、光が射して、食べ物が出て来る」
そう話す清一さん。この場所で原木椎茸も栽培しておられます。この時期にしっかりと
しいたけの育つ環境を整えてやると、とても美味しい椎茸ができるそうです。これも
あば村に帰ってきてから山仕事をして、研究してきた成果。自分が働いて、出て来た
食べ物を食べるのが大好きなのだとか。
「一生懸命働いたら、山が返してくれることを学ばせてもらった。」
都会に勤めて、帰って来た清一さんならではの言葉でした。
清一さんの育てる椎茸の原木。もうすぐ立派な椎茸が生えてきます。
最後に、清一さんのあばの自慢は?
あば村みんなで作って来たこの景色を、いつまでも大切にして行きたいと清一さん。
心の熱い、元気な、地域をまもるお父さんでした。
明日もお昼の12時更新
次はどんなお話が聞けるでしょうか?