2014.4.9 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan
ここ数日。岡山県県北に位置するあば村にも、晴れの国・岡山らしい
気持ちのよい晴れ間が続いています。日中の気温も上がり、働き者の
あば村人たちも家の外で動き出しました。
そんな中歩いていると、今日も一人のおばあちゃんに出会いました。
今年で88歳、まだまだ元気な菊江さん。お家の前の草取りを
一緒にしながら菊江さんの人生を伺いました。
菊江さんは66年前、鳥取県因州(現因幡地方。鳥取県東部のこと)からあば村にやってきました。
当時は終戦直後で、どこも裕福な暮らしはできませんでした。旦那さんと二人三脚で仕事をして
なんとか生活をしていたそうです。当時の仕事と言っても、会社なんてほとんどないので
基本的に農作業ばかり。
「本当に、身体一つで働いてきました。私は、男が使うような機会も使いましたよ」
と菊江さん。
しかし、その旦那さんを51歳の時に亡くされて、それからはずっと一人で働いてきました。
今まで35年、家庭で食べる野菜を作り続けてきた裏庭の畑を、大切に守ってきたそうです。
88歳とは思えないほどしっかりとした足で思い出の畑を案内してくれました。
雪が溶けたら、毎日ここに出て来て畑の手入れをするそうです。さらに、ほんの
3年前ほどは、各日で朝のウォーキングをかかさなかったそう。コースを聞いてみたら
高低差の激しい山を登る、一周5kmほどある道でした。80代のおばあちゃんが歩く
道のりじゃありません。恐ろしい。
「とにかく、体を動かすことが元気の秘訣。私は近所の人にもいつまでも元気だと
有名ですよ。友達にも良くほめてもらえます。もう一つは、自分で作ったものを食べること。」
食べ物と運動が健康の秘訣、当たり前だけどそれを実践したらここまで元気に生きれる。
「旦那が早くに亡くなったけぇ、私が長く生きんとな。息子も寂しかろうし。」とぼそっと一言。
人生のパートナーだった旦那さん、家族のために健康を保つ菊江さん。
おかげさまで腰はいまでもまっすぐですよ、と自慢げに伸びてくれました。可愛い。
「ええ腰じゃろ」と自慢してくれました
戦後、元気のなかった日本。菊江さんが嫁いだ先は、10人の大家族。旦那さん含め
男兄弟4人が全員戦争に兵隊として出ており、一番下の弟さんは殉職されました。
その中でも、嫁ぎ先のご家族が仲良くしてくださり、熱い人情を感じたそうです。
「近所の方々もすぐにお友達になってくださりました」と菊江さん。
昔、冬の仕事と言えば、男性は遠くに出稼ぎ、女性は家で内職をしていました。
菊江さんも、家で子どもを見ながら、銅線を作る内職を一人でもくもくと内職。
その合間に、たまに集まる婦人会や部落会が楽しみだったそうです。
「淡路の方に、貝拾いまで行ったこともありますよ。あれは楽しかった。」と一言。
「旦那が大工で、この家を建ててくれました。なるべく段差なく作ってくれて
いまでも本当に人情の感じる家です。」
その家を飾るために、菊江さんもちっちゃくお花を育てておられます。
最後に、菊江さんのあばの自慢は?
旦那さんの愛に溢れ、とにかく元気な菊江さん。
その背景には、人情に溢れたあばを生きて来た姿がありました。
きょうで一日一人も一週間経ちました
おかげさまでたくさんの方々に記事を見ていただいております。ありがとうございます。
さて、今までは本当に『毎日』の更新でした。
しかし、これからはもっと、あば村に住む『人とそのストーリー』を深くお伝えしていきたいと考えています。
ですので、これからは
【毎週平日の更新 土日・祝日は取材日としてブログ更新はしない】
という形にさせていただきます。
突然の発表ですが、あば村の人たち一人一人を丁寧に紹介していきたいので。
ご理解、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
そして、これからも一日一人含め
あば村へのご声援、応援のほどよろしくお願いいたします。
あば村 広報 坊 将一