【特集】 御百姓:山田清一さん

2014.12.3 【あばのコト, あばのヒト, あば通信】 投稿者:bo-kun_chan


 

【特集】てまひま

『技』という漢字は、『手で支える』と書きます。ここあば村でも、ゆっくりとした時間
の中で、手間をかけ暇を惜しまずに手に技を宿してきた村人がたくさんおられます。そん
な村人の『手仕事』に注目してご紹介していくのが【特集】てまひま です。

 


 

 

御百姓:山田清一さん《はで をつくる技》

 

 

中心地の標高が450m、山々に囲まれ寒暖の差が激しいあば村はお米が美味しく育つ地理
条件を満たしています。さらに、岡山県最北端に位置するため、水も源流からそのまま流れ、
一切汚れることなく村の田畑へと届きます。そんな環境があったからか、村全体での環境保
全に対する取り組みも昔から行われ、意識も非常に高いです。《エコビレッジ阿波構想》と
いうものを立ち上げ、環境に優しい、持続可能な地域づくりを進めています。ゴミを捨てな
い、排水を川に流さないことを徹底しており、今でも村を流れる水は本当に美しいです。

 

 

てまひまー山田さん10

 

 

そんな村の取り組みもあってか、農家さんの農業に対する意識も非常に高いものがあります。
地域を回っていると、たくさんの農家さんに出会います。そして、話を聞くと必ず、
「わしが作った米が一番うまいんじゃ。」という自慢が始まります。
あば村の貴重な環境があってからこそ生まれる農家さんのこだわりや工夫を聞いていると、
いつもこんな言葉が出てくるのです。

 

「昔はみんな はで干し をしよったんで。」

 


 

 

「廃れていった はで干し という風景」

 

《はで干し》は昔から伝わる、稲を乾燥させてお米から水分を飛ばす工程のことを言います。
ここあば村でもほとんどの農家はこの はで干し でお米つくりをしていました。木と竹で作ら
れた専用の《はで》と呼ばれる、物干し竿のようなものを作り、そこに稲をかけていくので
す。稲の乾燥は、植えるところから丁寧に作られたお米の一番最後の作業で、ここが味が決
まると言ってもおかしくはないです。そんな大切な工程を、自然の空気と風に任せて、熟練
者の経験と知恵で乾燥されたお米の味は他とは比べられないものとなります。さらに、収穫
に合わせて作る大きな《はで干し》は、家族や地域ぐるみの大仕事であり、村を支える重要
な交流拠点の一つにもなっていました。

てまひまー山田さん9

昭和50年代当時のあば村の風景、壁のように高い《はで》が道の両端に立っています。これ
が当たり前の風景でした。

しかし、そんな《はで干し》も今となってはすっかり見なくなってしまいました。農家の高齢
化と機械化・効率化により、手間と時間のかかるはで干しよりも、簡単で質も均一になりやす
い大型乾燥機が主流となっていしまいました。そして《はで干し》が見えなくなったと同時に、
家族や地域の人たちが収穫期に田んぼで談笑することも、米のために徹夜で作業する情熱も、
見えなくなってしましました。


 

 

 

「自分が食べる分だけでも。」

 

そんな中、ある村人に出会いました。それが本日の主役、山田清一さんです。とっても元気で
おしゃべりが大好きな山田さん、なんとあば村でも数件しかなくなった《はで干し》を行う農
家さんのうちの一人です。夏の田植えの時期から「うちは今でもはで干しで米作るんで!!」
と教えてくださいました。
「やっぱり乾燥機みたいな人工のものなんかより、はで干し で作る米がうまいに決まっとる。
だって米も自然のものなんだから、最後だけ人工的に乾燥させるなんておかしいやろ?」

 

 

この言葉に感動しました。手間を惜しまない、昔から伝わってきた美味しく米を作る技術をこ
の方は実践してきておられます。しかし、実はあば村に帰ってきてからまだ数年。それまでは
ずっと大阪におられたそうです。そこから本格的に農業を開始、はで干しも父親の手伝いをし
ていたころを思い出しながら、地域の方に教えてもらいながらやっています。

 

 

てまひまー山田さん2

 

 

「たしかに、手間がかかるのも時間がかかるのも分かる。けどこっちの方が良い
米になるんや
から、せめて自分たちが食べる分だけでも はで干し でやっていきた
いなぁ。」

 

 


 

 

《はで をつくる技》

 

今年の9月中旬。稲刈りも終わりいよいよはで干しの時期がやってきます。貴重な はで を
作る作業を見せていただけることになりました。呼び出された時間はなんと朝の6:30分。
忙しい山田さんは早朝から起きて仕事をしておられます。眠い目をこすりながら、それでも
伝統に触れられる高揚感を胸に山田さんのお家へと向かいました。

 

 

《はで》は《はで木》という細くて長い竹と《じく》と呼ばれる木を組み合わせて作ってい
きます。《はで木》も《じく》もずっと昔から使われてきたものを大切に保管して使われて
います。中には10年以上使っているものもあるとか。美しい《はで》を作るには良い材料
も必要です。最近はなかなかまっすぐな木や竹がないそうで、ずっと昔のものを使い続けて
います。

 

 

てまひまー山田さん8

 

《はで木》や《じく》は、軒下など雨の当たらない、風通しの良いところに保管されます。

 

 

歴史と伝統を繋いできた材料を使い《はで》を組み上げていきます。ちょうど腹ほどの高さ
で一直線になるように、《じく》を2〜3本使い台座にして、その上に《はで木》を置いて
いきます。
「心がまっすぐなやつじゃないと はで もまっすぐにならんで!!」と山田さん。ひとつひ
とつの場所を丁寧に仕上げていきます。《はで》の高さは、低すぎると稲が地面に着いてし
まうし、高すぎても稲をかける時に苦労をします。一番に良い高さになるように目印の竹を
容姿して、これを基準にして組み上げていきます。

 

てまひまー山田さん1

 

 

 

《はで》には釘もネジも使いません、止めるのは紐一本のみ。しっかりと結ばないと稲の重
みや風邪で崩れてしまいます。そうなってしまうとここまで苦労して育ててきたお米が無駄
になってしまいます。少しのズレも起きないように、《はで》専用の括り方でそれぞれを止
めていきます。このも知恵も父親の手元を思い出しながら、そして自分の手を動かしなが
ら作り上げてきたものです。

 

てまひまー山田さん4

ハンマーで《軸》を田んぼに叩き入れていきます。

 

 

 

てまひまー山田さん5

止めるは紐だけで。

 

 

最後は、山田さん本人の目で水平を確認します。
「ここで曲がっとったらかっこ悪いやろ?最後は自分がどこまでこだわるかなんよ。別に多
少曲がったところで米に影響はあんまりないんやけど、やっぱりやるならかっこい仕事せん
とあかんやろ。」

これはもう、今もなお《はで》を作る人としての義務なのかもしれません。やるからにはキ
チンとしたことを、見られても恥ずかしくないものを、という山田さんの意識がここまで、
《はで干し》を貫いてきた原動力になっているように感じました。

 

てまひまー山田さん3

 

 

 

 

あっという間に組み上がった《はで》。形や大きさも微妙に違う材料を組み合わせて綺麗な
直線が描かれています。

 

てまひまー山田さん6

 

 

 

簡単に見える《はで》作りですが、そこには山田さんの細かな気配りと、こだわり、そして
山田さん自身の手で守ってきた村の原風景がありました。田んぼに立つ一本の《はで》が、
今では米を干すだけのものでなく、別の意味もこもっているように見えます。とっても素敵
な技と志に触れさせていただきました。

 

てまひまー山田さん7

 

 

 


 

 

次は、いよいよこの《はで》に、山田さんの手で大切に育てられたお米をかけていきます。
また、あえて山田さんの肩書きを『御百姓』にした経緯もお話しようと思います。

 

次回

【特集】てまひま

御百姓:山田清一《米をつくる技》

 

12月8日(月)の14時に公開です。どうぞお楽しみに。

 

 


 

 

 

残念ながら《はで》は毎年作り変えるので、今はもう田んぼにありません。稲をかける時だ

け限定で見られるものです。また来年の9月中旬になると見ることができますよ。宣言はし
ておられませんが、深い気持ちを持っておられる山田さんならきっと来年も《はで干し》を
されるはずです。実物が見たい方は、どうかその時期までお楽しみにお待ち下さい。