2014.6.16 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan
この土日、梅雨の影響でむらも大雨が降りました。田んぼの苗が小さいうち
の雨は一大事、稲が浮いて流されていってしまします。あばの中央を流れる
阿波川添いの田んぼにもたくさんの水が流れてきました。今日は稲が流れた
田んぼの捕植をしていたお母さんをご紹介。
麦わらをかぶり、もんぺを履いて、まさに田舎の格好をして稲を植えていた
昌子さん。鳥取の智頭町から村へ嫁いできました。「智頭の実家も百姓屋で
よく稲刈りなんかの手伝いもしていましたよ。」村にきたきっかけは、お見
合いだそうで、それまではあば村の存在も知らなかったそうです。「村のこ
となんてまるで知りませんでした。外から来た人はみんなそう言いますよ。」
今でこそ、津山市内の人からは「あばってどこ?」と聞かれるぐらいです。
今も昔もまさに秘境ですね。
智頭生まれの昌子さん。昔から縫い物など細かいことが得意で、当時の智頭
農林高校(現智頭高校)では縫製学科に入り縫い物を学びました。「女性ばかり
で縫い物をやってました。農林高校なんで山の草刈りなんかもやらせてもら
えましたよ。」その経験を今の百姓事でも役立てています。高校時代は、な
んと婦人警官になりたかったという昌子さん。「警官になるのに有利だから
剣道をやってました。」たしかにパワフルなお母さんという感じ。しかし、
高校を卒業してからは婦人警官にはならずに、美容師になりました。「警官
はいろいろあって諦めたんです。今は美容師、むかしから細かいことが上手
でしたからね、私は。」お隣加茂町にある美容院を経営しています。こうやっ
て自分の得意なことを生かせる場所があることが大切だと言います。「村で
もなんでも、自分ができることをやれる場が必要なんです。生きがいとして。」
昌子さんは村のパッチワーク教室にも通っています。高校の時に学んだこと
を思い出しながら縫うそうです。
最後に、昌子さんのあば村の自慢は?
一時は警官を目指していたこともあってか、とにかくパワフルな昌子さん。
次のパッチワーク教室に一緒に行こうと約束しました。楽しみ。
明日もお昼の12時更新
次はどんなお話が聞けるでしょうか、お楽しみに。