第45村人:藤井 登美子さん

2014.6.3 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan


 

日本も南から順番に梅雨入りが宣言されていますね。あば村の中でも
「明日から梅雨入りじゃ。」とみなさん慌ただしく外の作業をしてお
られます。今日は、近所のおばあちゃんと朝の散歩を一緒にする約束
をしていました。晴れるかな?雨かな?とドキドキしていましたが、
無事に晴れて一緒に歩けました。今日はそのおばあちゃんをご紹介。

 

藤井 登美子(とみこ)さん

 

とみこさん

 

「毎日の変化を楽しみに歩いています。ここらの事は私が一番知ってます。」

さて、お散歩の始まり。登美子さんのお家を出て、今は合同会社が新しく
店をオープンした農協跡地まで下ります。「ここも賑やかになったねえ、
だんだん寂れて来たけど、こうしてまた明るくなって嬉しいです。」ここ
の角を曲がり、福祉センターの方向へ。左手には『あひる農法』を行って
いる田んぼがあります。「ここもねぇ、ちょっと前からアヒルが来て、こ
のじきになると毎日通るのが楽しみなんです。可愛いし。」あひる農法実
践者の藤井昌博さんの伯母さんにあたる登美子さん。あひるをしばらく眺
めて休憩してから、温泉の角を曲がります。あば食堂(交流館)のまえの畑で
脚を止めてまた説明を始めました「ここの畦はな、翁草という可愛らしい
花が咲いて、それが終わればシロツメグサが咲き、秋には稲穂が輝いて綺
麗なんです。田んぼも圃場整備で大きくなりました。風が通って気持ちが
良いんです。」そして、再び農協跡地の前を取って家に帰る。30分の道
でしたが、登美子さんと歩くとミニツアーみたいになりました。

 

とみこさん3

 

「一人暮らしは寂しい。今でも故郷との交流を続けています。」

お散歩も終わり、水の流れる家の前でちょっとお話。おばあちゃんの想い
出を話し始めました。福井県から嫁いできたという登美子さん。7歳で両
親をなくされて、海軍だったおじいさんの繋がりで鳥取県伯耆大山の麓の
病院へ仕事へ行きました。しかし、下宿と仕事がとても厳しく。耐えられ
なくなってあば村へ結婚して嫁いで来たといいます。「18歳で鳥取へ行
き20歳で村へ来る2年間はとても厳しかった。若い頃の苦労は今でも思
い出しますよ。」しかし、村へ嫁いでからも苦労は続きました。嫁ぎ先は
なんと8人兄弟の大家族。毎日、家事と仕事に追われる生活が続きました。
「一日に米を5升も食べるんですよ。当時は脱穀機なんてないので、千歯
こぎを毎日踏んで米を作っていました。ほんで家族の洗濯もしなきゃいけ
ない。これも洗濯機もなく、全部たらいで手洗い。それはもう忙しかった。」

 

とみこさん2
空が綺麗でした。

 

月日は流れ、今では登美子さんも一人暮らしになってしまいました。寂し
い生活の中で楽しみにしているのは、ふる里 福井県にいる従兄弟から来る
贈り物だそうです。「福井から美味しい魚が届くんです。変わりに私は村
で採れた山の幸を送るんです。そんな交流が楽しみ。」たまに送るのが遅
くなると、従兄弟さんから「生きとるか?」と電話が来るそうです。そん
な感じでのんびり生きて来たんだよ〜と登美子さん。月に一回は一緒にお
散歩をする約束をしてお別れしました。

 

 

最後に、登美子さんの考えるあば村の自慢は?

「のんびりしているところが好きです。」

 

 

村で散歩している人に声をかけると、すぐにミニツアーが始まります。
みなさんだけのツアーガイドを見つけに村へ来てみてはいかがでしょうか?

明日もお昼の12時更新
次はどんなお話が聞けるでしょうか、お楽しみに。