第24村人:山縣 冨美子さん

2014.5.2 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan


 

日本の田舎にはどこでも、その地域に多い名字というものがあると思います。あば村では
『小椋』という名字が多いです。(過去の一日一人でも何名かご紹介しました。)  今回
出会った村人は、あば村ではたった一軒の名字。しかし、あば村でも歴史は深く、墓には
江戸時代初期の年号まで残っています。今日はそんな、歴史と農作業が好きなお母さんを
ご紹介します。

 

山縣 冨美子(とみこ)さん

 

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「村に嫁ぐということは、歴史を繋ぐということだと思うんです。」

あば村ではたった一軒の『山縣』という名字。その家に津山の旧勝田郡から嫁いで来た
冨美子さん。今はなくなられたあばあさんに家の歴史のことをたくさん聞いてこられた
そうです。「家の墓には、江戸時代初期の年号が刻まれています。ちゃんと山縣という
名も入っているので、その時代からはあば村におるそうです。今では何代目か分かりま
せんが。」と話す冨美子さん。「あっこの山縣さんの嫁か、と良く言われましたよ。」
と、その名字からあば村でもすぐに名前を覚えてもらえたそうです。
現在あば村にはお医者さんが一軒もないですが、冨美子さんのご先祖は村で唯一の医者
だったそうです。「昔はうちはお医者さんだったんです、そうおばあさんに教えてもら
いました。」「うちの屋号は神田と言います。昔は神殿と書いていたのですが、あまり
にも仰々しい屋号なので、神田となおしたそうです。今ではうちの前にあるバス停の名
前にまでなってます。」とたくさん家の歴史についてお話してくれました。一つ一つの
家の歴史を聞いていると、当時のあば村の背景も思い描くことができます。冨美子さん
はこの家の歴史を次の世代にも伝えていきたいそうです。「家には歴史があって、嫁い
できてそれを習って、次に伝えて行かないと。」と、ぼそっとつぶやいていました。

 

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家の前にあるバス停。本当に屋号神田の冨美子さんくらいしかここから乗らないそうです。

 

「あば村に来て初めて米の作り方を知りました。」

歴史はよく知っていますが、農業については何にも知らなかった冨美子さん。あば村と
同じような田んぼ囲まれたとこで生まれましたが、農作業をやりだしたのは村へ嫁いで
きてからだそうです。「米なんて、自然と生えて来るものかと思っていて、最初あばへ
来たときにはお義母さんに怒られましたよ。」と笑いながら話す冨美子さん。今では外
に出ることが大好きになりました。家の前の広い畑も、全て手作業で手入れしていきま
す。「粗起こしは機会でやってもらいましたが、細かいことは自分でやります。本当に
畑が大好きです。体も動かせるし。」これからキュウリやナスなどの夏野菜を植えてい
きます。こうやって畑が出来ることが自慢だそうで「目の前で美味しい物が作れて、食
べられて、とっても幸せです。心も身体も健康になれます。」と、野菜が採れるのを楽
しみにしておられました。僕も楽しみだな。
こんな農作業や米作りなんかを、子どもたちに伝えて行くのも大切だと冨美子さんは考
えています。「あば小学校なんかでも、野菜や米作りの見学なんかを昔からやっていま
した。もう閉校になってそれがなくなってしまった。」畑が好きだからこそ、これから
の子どもたちにも魅力を伝えて行きたいと語ります。普通に、子どもたちが畑を手伝う
姿が見えるあば村ってすごく魅力的ですね、と妄想しながら一緒に草取りをしました。

 

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広い畑を手作業で。

 
小学校の利活用があば村の課題です。そんなときに冨美子さんみたいに作業しながら
歴史を話せるお母さんはとっても素敵な人材だなと想いました。また草取りに行こう。

 

最後に、冨美子さんの考えるあば村の自慢は?

「とっても穏やかなところですね。」

 

草取りをしていたら突然「11時のバスに乗ってパンを買いに行かなきゃ!!」と家へ
戻って行きました。可愛いな。
これからのあば村の進む道を決めるときに、村のたどってきた歴史から学ぶことがとても
多いです。最近『阿波村史』が愛読書です。しかし、冨美子さんのように、口伝えで継承
されてきた生きた歴史を知ることが大切だということに気づけました。

 

明日からGWですね。
一日一人レポーターのぼーくんもGWは取材日にさせていただきます。
次回の更新は、連休明け5月7日(火) お昼の12時です。

次はどんなお話が聞けるでしょうか、お楽しみに。