2014.10.30 【あばのヒト】 投稿者:bo-kun_chan
一ヶ月ぶりにこんにちは。
一日一人の更新がかなり遅くなってしまい申し訳ございません。
この一ヶ月で、村の姿もだいぶ変わってきたのは
『あばのコト』でもお伝えしてきましたが、村人は何も変わらず元気に村で
生活をしておられますよ。これからも、村で粛々と生きておられる村人の姿を
皆さんにお伝えできればと思っております。
さて昨日のことですが、肌寒くなったもののまだまだ自転車で村を走り回って
いますと、ひとりのおじいさんに出会いました。鍬を持って、畑を耕している
最中に、ちょっと休憩がてらとお話を聞かせてくださいました。なんと、息子
さんが僕も通っている島根大学の大先輩だということで意気投合。そこから思
い出話を聞かせてくれたので、今日ご紹介しようと思います。
生まれも育ちもあば村の稔さん。日が落ちるのも早くなった秋のあば村は、3時に
ごろになると影も多くなり肌寒くなってきます。そんな中、もくもくと鍬を振って
畑を耕しておられました。ちょっとシャイで、口数も少ない方ですが、「おじいさ
んはずっとお百姓さんをしておられたんですか?」という僕の質問から稔さんの人
生や思い出を語り始めました。「ワシは19歳で兵隊に志願して入隊しました。海
兵になりましてね。横須賀の基地におったんです。」当時はまだ戦争時分だったの
で、男は兵隊に志願することは当たり前のことでした。「あば村からも何にも兵隊
に出ておられますよ。当時は兵隊になれば一生飯が食っていけると信じておりまし
た。」わずか19歳での出兵、22歳のぼーくんも信じられない世界を稔さんは体
験してこられました。「だけど、残念ながら、日本が負けてしまったんです。そこ
からこちらに帰ってきました。」横須賀の基地へ出てわずか、1年半のことでした。
家の前をにある畑をもくもくと耕しておられる時に出会いました。
話は、あば村へ帰ってきてからのことに。稔さんのお家は昔から広い農地を持つ
お百姓さん。「私の家は一町農家なので、帰ってきてからはずっとお百姓をして
きたんです。」腰もしゃんとして、足取りもしっかりしている稔さんですが、な
んとこの春で88歳を迎えました。この歳までずっと広い田んぼを守るために米
つくりを続けてこられました。「しゃあないやないか!目の前に田んぼがあるん
じゃけ、やらんといけんの。」88歳にもなって一町の田んぼを作る人に初めて
会いました。「周りの同級生はなんにもしとらんけどのぉ!」と、この時だけ少
し自慢げな稔さんが素敵でした。
稔さんの家の真ん前にそびえる山、あそこには「茅刈り場」と言って、自治会ご
とに茅葺屋根の茅を育てていたと教えていただきました。「あの遠い山までだい
たい4kmほど。あそこまで歩いて、茅を背負って帰ってきてたんで。あの山に入
ってええということになるのが11月15日と決まってました。ある時にはその
日にもう雪が降って大変でした。いまでも15日が近くなるとそのことを思い出
します。」本当に大変な思いをしてこられた稔さん。こんな素敵なおじいさんが
作ってこられたあば村、話を聞いた帰りはいつもより景色がキラキラして見えました。
稔さんのお家から見た景色、一番遠くの山の向こうに茅刈り場があったそうです。
最後に、稔さんのあば村の自慢は?
「好きも嫌いもないけど、帰ってきてからは一回も出ようとは思いませんでしたよ。」
「今でもたまに、横須賀へ兵隊に出てあのまま帰らなかったらどうなっていただろう。
と考える事がありますよ。今みたいな暮らしではなかっただろうな、とか。」
『きっとあば村に帰ってきて、一生懸命お百姓さんしてこられたから、今の元気な体が
あるんですよ』とぼーくんが言ったら「そうかねえ、そうかねえ。」と少し照れながら
も喜んでおられました。かわいいな。またおいでね、と言われたので今度は横須賀にお
られた時のお話でも聞きにいこうかな。
これからも素敵な村人に出会いましたら、少しづつでもご紹介していきます。
これを見て、暖かな村を感じてもらい、実際に村まで足を運んでいただけると嬉しいです。
これからあば村は『花まつり』という大きなお祭りでそわそわしてきます。
こちらのご紹介もまたHPでさせていただきますね。
次の村人紹介は11月4日(火)ごろになると思います。
次はどんな人に出会えるでしょうか、お楽しみに。